安威川の四季プラス

日本中どこにでもある街中を流れる川、
一見何の変化もないような川にも河川敷にも土手にも、春夏秋冬様々な植物や虫や鳥などが生きています。身近な場所の四季の移り変わりを綴ります。

寒い朝

今朝は冷えました。快晴。
朝日が当たってピン色の煙。



ギシギシの葉っぱに霜。


大正川のいつもバンがいるところに、オオバンが来ていて、バンとオオバンが一緒にいる所を初めて見ました。



今年は渡り鳥が少ないです。
ヒドリガモもオオバンも少ないです。去年はオオバンがとても多かったのに。
カワウの集団も今年は来ません。多い時は200羽位の大集団が来ていたのに。
どこへ行ってるんだろう。


コガモはいつもより多いきがします。
ピヨピヨかピリピリか高い声で鳴くのがよく聞こえます。
この間はオス2羽とメス1羽が一緒にいて、オスがオスを追いかけてグルグル回っていました。何してるのかな? 争奪戦?



私の体操場の横で毎日ヘラブナ釣りをしているおじさん。今日もいました。
7時前から来て午後3時から4時頃までいるそうです。全然釣れない時が圧倒的らしいのですが。年金暮らしでお金ないから遠出はできないし、ということだけど、声をかけてくれる人もちょこちょこいるから退屈しないそうです。それにしたって、何時間も・・・もう感心するしかありません。たま~に釣れるからそれを待っているのが楽しいんでしょうね。今までの最高は40㎝くらいだとのことです。

穴を掘るヌートリア

これは何の穴でしょうか?
合流点から先の安威川河川敷にいくつもあります。



穴を掘っているのはヌートリア・・・だと思われます。
まだ現場を目撃したことはありませんが。


ヌートリアは冬になるとよく見ます。近づいても逃げません。
根っこを食べるのが好きみたいですね。
多分ですけど、河川敷はノビルがいっぱいなので、ノビルの球根が目的で掘っているのではないかと、私たちは思っています。
田んぼのイネの茎も好んで食べるので害獣と言われていますが、
「NHK NEW SWEB」のなかで、「ヌートリアの生態や歴史に詳しい岡山理科大学の小林秀司教授は
「毛皮用に150頭が輸入されていますが大規模な輸入は後にも先にもこれだけで、軍や民間業者に納入されました。
その後、太平洋戦争が始まると、高度1万メートル位でも凍らないヌートリアの毛皮は飛行機乗りに重宝され、1944年に軍が大号令をかけてヌートリアの増産に踏み切ったそうです」
終戦後は食糧難の中たんぱく源として養殖に力を入れることになったものの、食料事情が改善されると飼育は下火になり、飼育していた人たちは買い手のないヌートリアを野や川に放ったという訳です。
小林教授は
「ヌートリアはかつて、日本を救う『救荒動物』と位置付けられた時もあったのに、危機が過ぎたら捨てられ、今は 害獣 扱い。まさに国の政策に振り回された点で言えば、他の外来種と違う、同情すべき点が多い動物ともいえると、私は感じています」
と言っておられます。


人間は勝手です。


しかし増え続けるヌートリア、今や大阪中にいるそうです。
どうしたもんでしょうねえ。

地震に思うこと

三日月と金星がとても美しいです。


一昨日


昨日


ほとんど同じ時刻(6時40分頃)なのに、月と星の位置関係が全然違います。
私は知識がないので「どうしてかなあ」と思うだけですけど。



地震があると、障害者はどうしているかなと思います。


東日本大震災の時のドキュメンタリー映画『逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者』で、障害者がいかに過酷な状況に置かれたかが描き出されていました。障害者の死亡率は全体の死亡率の2倍であったことも報告されています。
また避難所に障害者がいない、どこにいるのかと全国から集まった障害者事業所や団体の人たちが行政に交渉してやっとのことで名簿を公開させて訪ね歩き。救援物資を届けたりしたということも報告されていました。
発達障害や知的障害で、沢山の人がいる体育館のような避難所には適応できない人たちは、半壊状態の自宅に戻らざるをえなかった、車いすの人は避難所まで行くのが困難、そうすると救援物資も手にすることができないとかもあったと報告されていました。


摂津でも災害時の障害者支援について、要望を上げたり、話し合ったりしていますが、実際に震災が起きると、やっぱり難しいんだなあと感じます。